本の魅力は、いつでもそこに知識の塊として存在し、巨人の肩に乗って知的欲求を満たせるところにあります。
読書をすると同時に一番意識したいのが、孤独になる時間。読み集めた情報と向き合って考える時間です。
思考することで、著者によって体系的に纏められた情報は、読者の経験や思考と結び付き、自身の中に永遠に取り込まれます。そしてそれらは語彙や教養を培う上でも重要な役割を果たしています。
考えるという手順を踏んで得られた知識は生涯を通して失われることはなく、常に形を変えて引用できるオリジナリティを持ったものとして残るのです。
ドイツの哲学者、アルトゥル・ショウペンハウエルは、ただひたすら多読だけする者と自ら思考する者の違いを記した上で、前者を厳しく批判し、自分自身で考え抜くことの重要さを説いています。
読まれたものは反芻され熟慮されるまでに至らない。だが、熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。(中略)すなわち、紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。
(著)ショウペンハウエル (訳)斉藤忍随「読書について」P.128~129
いくら知識を並べたところで、それは著者の言葉を借りたものであり、自分の考えではないわけです。
せっかく多くの書物を読んでも、ただ読むだけでは意味がありません。他人の知識や経験を自分の血肉とする為に「考える」癖を意識する必要があるのです。
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